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写真週報 The Weekly Photographic Bulletin

「写真週報」

昭和13年2月16日から昭和20年7月11日まで、内閣情報部によって刊行された国内向け国策グラフ雑誌。
防空活動などが記事として取り上げられることは度々あった。

The Weekly Photographic Bulletin was published between February 1938 and July 1945 by the Cabinet Intelligence Bureau of Japan. As one source of official domestic propaganda, the magazine is an interesting source of air-raid related materials.

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① 「大型焼夷弾をどうして消すか」
② 「防空指導者の養成・長崎県防空学校」

(写真週報・第261号)、昭和18年3月3日。

1. How to Extinguish Heavy Incendiary Bombs
2. Training Air Defense Personnel: The Nagasaki Air Defense School

The Weekly Photographic Bulletin, Vol. 261.
3 March 1943.

写真週報 – 261

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「写真週報」に取り上げられた空襲関係記事の一覧:

下記の「写真週報」記事は、外部リンク先のサイト(国立公文書館・アジア歴史資料センター)にてご覧いただけます。

The following is a list of articles featured in The Weekly Photographic Bulletin that deal with air raid-related topics. All links open up to: The Japan Center for Asian Historical Records – National Archives of Japan.

昭和13年の「写真週報」
The Weekly Photographic Bulletin (1938)

第26号( 昭和13年(1938年)8月10日):

「大陸の空あくまで狭し 南京空襲の思ひ出」

第29号( 昭和13年(1938年)8月31日):

「防空おぼえ帳」
「灯火管制の種類」
「街路で空襲に遭った時」
「公園や野原では」
「家庭では」
「瓦斯弾が炸裂した!」
「焼夷弾火災防火実演」
「防空用具一覧」

昭和14年の「写真週報」
The Weekly Photographic Bulletin (1939)

第75号( 昭和14年(1939年)7月26日 ):

「陸軍防空学校」

昭和15年の「写真週報」
The Weekly Photographic Bulletin (1940)

第130号( 昭和15年(1940年)8月21日 ):

「海軍機相次ぐ重慶空襲」

第136号( 昭和15年(1940年)10月2日 ):

「隣組製防空壕 東京中野」

第139号( 昭和15年(1940年)10月23日 ):

「防空指令第十七号 ドイツ」

昭和16年の「写真週報」
The Weekly Photographic Bulletin (1941)

第184号( 昭和16年(1941年)9月3日 ):

「都市の空襲」
「防空壕を作るなら 」
「都市空襲時の食糧は確保されてゐる」
「国民学校と防空」
「吾等の都市は吾等の手で」
「英米の爆撃機」

昭和17年の「写真週報」
The Weekly Photographic Bulletin (1942)

第203号( 昭和17年(1942年)1月14日 ):

「日本本土を空襲し得る米航空母艦」

第207号( 昭和17年(1942年)2月11日 ):

「防空鉄壁陣」

第208号( 昭和17年(1942年)2月18日 ):

「防空にこれだけは心得て置かなくてはなりません」

第211号( 昭和17年(1942年)3月11日 ):

「空襲何ぞ 食糧国防団の配給訓練」

第232号( 昭和17年(1942年)8月5日 ):

「防空待避所の作り方」

昭和18年の「写真週報」
The Weekly Photographic Bulletin (1943)

第253号( 昭和18年(1943年)1月6日 ):

「お正月の休みはなし ○○防空隊」

第277号( 昭和18年(1943年)6月23日 ):

「台湾の空を護る 本島人防空監視員」

第283号( 昭和18年(1943年)8月4日 ):

「敵機はたえず皇土を狙っている 」
「ふだんの準備 水の量 待機所」
「空襲警報が出たら」
「敵機が来たら」
「焼夷弾が落ちたら」
「火災になったら」
「死傷者が出来たら」
「飲料水はどうなる」
「食糧はどうなる」

第284号( 昭和18年(1943年)8月11日 ):

「ビルマの防空も隣組で」

第297号( 昭和18年(1943年)11月10日 ):

「敵機から幼児を守りましょう 防空と幼児の心理 竹田俊雄」

第301号( 昭和18年(1943年)12月15日 ):

「大空襲に備えよう 待避にも、消火にも、食料確保にも用意はよいか」

昭和19年の「写真週報」
The Weekly Photographic Bulletin (1944)

第305号( 昭和19年(1944年)1月12日 ):

「爆弾の威力」
「官庁疎開の第一陣転進を完了 恩給局小田原市へ」

第311号( 昭和19年(1944年)3月1日 ):

「疎開しないままで空襲をうけたら」
「如何に疎開すべきか」
「都市要塞化のためだ 一刻も早く進んで疎開しよう」

第319号( 昭和19年(1944年)5月3日 ):

「わが家の防空戦闘」
「迎える人の温かい心づくしに 疎開してああよかった」

第324号( 昭和19年(1944年)6月7日 ):

「おとうさん おかあさん 僕たち元気です 伊豆の疎開学園」

第332号( 昭和19年(1944年)8月2日 ):

「毀して造ったわれらの防空空地」

第333号( 昭和19年(1944年)8月9日 ):

「空襲下の掩蓋保険」

第334号( 昭和19年(1944年)8月16日 ):

「児童の集団疎開進む」
「空襲下の電報・電話・郵便の心得」

第335号( 昭和19年(1944年)8月23日 ):

「空襲時の乗車心得」

第336号( 昭和19年(1944年)8月30日 ):

「敵の本格空襲に備へよ」
「空襲下のお金はどうなる」